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レンズの詩学

アート批評、思想、雑感など

新たな時代の言語コミュニケーション

以下は「現代における言語コミュニケーションとは」というお題で、数年前に某所からコメントを求められ1000文字でまとめた論考。字数制限があったので問題意識のみにフォーカスし、具体的な対応策には言及していない。しかし、ここで書いた状況は2、3年を経た今でも変わっていない。コミュニケーションに携わる職業の方がなにかを考えるうえでの一助になればと、公開に踏み切った。

今、言語コミュニケーションにおいて地殻変動が起きている。スマートデバイスの普及、膨張するソーシャル・ネットワーキング・サービス(以下、SNS)、写真・動画における技術革新の果ての表現形態の多様化。これらのものが複合的に絡まりあった結果、私たちのコミュニケーションは著しく変容している。

 

ここで着目すべき論点のひとつは、コミュニケーションの同期性である。主としてSNSの発達によって、メッセージの送り手と受け手の間に存在していた時差が極限まで0に近づいているということがいえる。

 

これがどう問題なのか。時差の解消=即時的なコミュニケーションが一般化したことによって、「コミュニケーションの分節」とでも呼ぶべき事態が進行しているように思えるのである。コミュニケーションの分節、つまり表現形態としての言語が断片化し、メッセージが軽量化しているのだ。

 

即時的なコミュニケーションが求められるということは、つきつめればレスポンスに要する時間が限りなく短縮されていることを指す。レスポンスの短縮は文体による属人性を排除する。つまり誰にでも書けて、すぐに読める言語形態が必要なわけであり、それらは心理主義的な冗長性を解体することになる。その人にしか書けないような凝った文章表現や心理描写は時代の要請にそぐわないのだ。それらがもたらすのは、機能主義的な「ダイレクトな表現」であり、言語における装飾性・情緒性の排除なのである。

 

さらに新たな言語コミュニケーションを考えるうえで示唆的な兆候がすでに見られる。昨今、急速な広がりを見せるSNS、LINE(ライン)におけるスタンプ機能である。スタンプとはテキストメッセージに挿入できるイラストのことである。従来の電子メディアにおいては、当然のことながらテキスト主体のコミュニケーションが主流となっていた。しかし、このLINEにおけるスタンプの登場によって、若者を中心に記号表現的にイラストで言語を代替してコミュニケーションを交わすことが日常的になってきているのだ。

 

これらを総合して考えると、レトリック(修辞)やメタファー(隠喩)などの介在する余地はなくなり、ダイレクトな言語表現を人々は好み、言語がイラストなどの画像データによってビジュアル化されつつあるということだ。これは従来まで通用してきた言語表現の転換を意味する。これからのコミュニケーションの在り方について考えたとき、ここで挙げた変化は大きな分水嶺となるだろう。

©️マツダマコト

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Border -境界線-

ただ他人よりも多く金を稼ぐことでしか働く意味を見出せず、あくせく走り続けてきた自らの人生に嫌気がさした時期があった。

 

見栄えのする高級スーツにネクタイ、聴こえのいい横文字の職業と肩書き。

 

このまま走り続けたところで一体何が残るというのだろうか…何かを残したい。後世の人間に、こんなブッとんだヤツがいたんだっていわれるような自分の足跡を残したい。強烈にそう思った。

 

そんなとき手元にあったのがたまたまカメラでさ。どうしようもなく写真という表現に魅了されてた。これでいくしかないと不意に覚悟を決めた。100年後も語り継がれる写真家になってやるって、根拠のない自信に確信めいた。

 

そう思った最中、世界的に活躍するオランダ人キュレーターで写真批評家のマーク・プルーストが来日すると聞いて東京に向かった。出会って早々、彼から出されたお題は「Border」。なんでもいいから境界線を撮ってこい。そう言われ、アキバハラを訪れた。かぎられた時間の中で無我夢中になって撮った。

 

数時間後、マークのもとに撮ったばかりの写真を見せに戻った。正直、自信がなかった。短時間だったために撮影技法まで配慮して撮ることができなかったし、何より現像もレタッチもしていない。ある程度の酷評は予想できていた。

 

そんな自分の予想に反してマークの第一声は、「おもしろい!」というものだった。こんな写真見たことないよ、これが写真のおもしろさなんだと俺に諭してくれた。「過去のセットアップされた写真にはお前のビジョンが映り込んでない。お前自身が映ってない。でも、このアキバの写真にはマーティン・パーにも通ずる批評眼が見てとれる。スナップショットに専念すれば、もっともっとおもしろいものが撮れるんじゃないか?」、そう言ってくれた。

 

その翌日、俺はそれまでの仕事を辞めた。

 

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※こちらの写真の所有権はすべて執筆者に帰属します。許可なく無断で転載・使用することを禁じます。

革命的批評宣言

企業のネットが星を覆い、電子や光が世界を駆け巡っても、国家や民族が消えてなくなるほど情報化されていない現代

俺らは一体、次の時代に何を残せるというのだろう…

 

僕は耳と目を閉じ口を噤んだ人間になろうと考えたんだ。だが、ならざるべきか(I thought what I'd do was, I'd pretend I was one of those deaf-mutes or shoud I ?)

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冒頭から、来年あたりハリウッドで実写化されると噂の件の引用を持ってきておいて恐縮なんだけど、別にアニヲタではない。だけれども、こうも人の心をとらえてはなさない、なおかつ書いておきたいと思ったことがほぼそのまま台詞の引用によって差し示すことができてしまうというところでも、エポックメイキングなコンテンツだったんだよ、ほんとさ。

 

で、もともとはサリンジャーの小説からの引用であり、劇中のニコちゃんマーク男の台詞に対する俺自身の回答となるとやはり疑問符つきで、確信を持って答えが出せない。なればこそ、ただ口を噤んでおけばいいものをそれでもなお書いて、人前にさらけだそうってんだから人間心理ってのは…

 

なにやら仰々しいタイトルをつけてしまってなんなのだけど、何か革新的な批評を展開してやろうとか、世の中の欺瞞を暴いてやるとかってそういうのではなく。ただただネット社会の暗部でひっそりと声を潜めて生きる者として、日々思うことや気づきなんかが後々の誰かさんが生きてくうえで、少しでも役に立ってくれたらいいっていう、ちょっとしたお節介のつもりで書いていこうと思ってる次第なワケ。

 

俺自身はビジネスの世界からドロップアウトして世捨て人ならぬ写真家になったと思ったらまた経済人として資本主義社会に舞い戻った男で。ただでさえ誤解を孕みやすい経歴に付け加え、若干の反社会性人格者でもあるから今さら脚光なんか浴びたくもないし、しがない小市民でいたいから、これを見たあんたはソーシャルメディアかなんかでこんなこと書いてるブログあった、なんていう拡散はしないでほしい。どうかお願いしますm(._.)m

 

アートに関しては写真の批評が中心になるんだけど、「アート」の語源は「アルス(ars)」というラテン語で、そのもともとはギリシャ語の「テクネー(techne)」、つまり「テクニック」の語源となった訳語から由来してることからもわかるとおり、アートとは本来生きるうえでの「技術」(だから「孫子の兵法」も英訳すると「Art of War」になるんだ)であることを鑑み、芸術に限らずフリーテーマで色々な話題を扱っていこうと思ってる。そう、しいて言うならテーマは「生きる術(すべ)」ということだ。

 

要は俺自身の生きるうえでの備忘録がどっかの誰かの役に立てばいい、拙文があんたの何かが変わるきっかけになってくれたらいいっていう淡く浅はかな期待を多分に含んでいるんだけれど、結局のところは「世の中に不満があるなら自分を変えろ」ってことだよ。

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