レンズの詩学

アート批評、戦略論、雑感など

写真鑑賞論③ 〜アートのカタチ〜

脱線ばっかで、ひさかたぶりとなる写真鑑賞論の第三弾。被写体の向こう側に透けて見える写真家の視点や観念、思想に着目せよというのが前回の記事での論旨だったんだけど。こむずかしいこと言ってるようで、実は。こむずかしく考えないように、ただ目の前の写真と真摯に対峙してみる。そういう姿勢がまず最初の一歩で。そこであんたの心の琴線に触れるもんがなけりゃ、それは「アート」という皮を被った狼ならぬ唯の「ファッション」写真なんだっつー話。

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このファッション写真ってのがクセモノで。あたかも「アート」感を漂わせやがる。だけどそこには。なんのメッセージもなけりゃ芯を貫くテーマもない。そういうものをすべてひっくるめて、ここでは「ファッション写真」と定義する。

 

つまり、単に「かっこいい」とか「キレイだ」とか「斬新だ」とゆーような形容詞に回収されて、それ以上に感じ得るもののない写真のこと。それはたとえばただ美しいだけの風景写真であったり、一様に幸せそうな笑顔を描写したポートレートだったり。はたまた、エレガントなファッションや奇抜なスタイルの街往く人のスナップだったりとか。構造物を幾何学的に撮ったクリエイティブな建築写真なんかも。

 

たしかにそこにはそれぞれ固有の美学が存在するのだけれど、あたかもネタバレした二流作家が作中で苦し紛れに描く浅はかな論理の飛躍のように、共通の“符号(コード)”を介することですべてが氷解してしまう。コードさえ理解してしまうと、それ以上の深みや奥行きがなくなってしまうものたちだ。

 

大切なことだから繰り返しておく。まずもって鑑賞を強いる写真作品は次の2つのいずれかの領域に区分すべし。たんに「斬新だ」とか「クリエイティブだ」ってだけでアートと判断してはいけない。

写真の2大分類
1.    アート
2.    ファッション

そして、ここからが本題。アート写真の鑑賞は1枚ものの写真を眺めるよりも、同一テーマの写真を複数枚で見た方が理解しやすくおもしろいということだ。そして、写真の鑑賞に最適なのが“写真集”という媒体なんすよ。なぜ写真集が鑑賞に優れているのか。理由はいくつか挙げられるんだけど。逆説的に複数枚の写真を1冊に編集してまとめるということは、その1冊を貫くテーマが必要になってくるわけ。

 

だから、どうしても写真家それぞれが個々に抱く問題意識や興味・関心が露出する。さらには写真のみならず装丁や紙質などに写真家の見せ方の哲学が結実し、必然的に写真家の個性がひとつの表現としてアウトプットされるのが写真集という媒体の魅力になってるんだ。

 

それだけ写真家の哲学が凝縮した成果物である写真集(以下、「本」とする)なんだが、実は本の特色を決定付けるのが“編集”の仕方なんだわ。鑑賞者、つまり見る側としてはあまりこの編集の仕方について言及しない人が多いんだけど、これが理解できると写真鑑賞が格段におもしろくなるし、写真という“視覚言語”の勘どころが見えてくるようになる。

 

編集方法には5つの類型が存在する。ちなみに“編集”というと何やらクリエイティブな臭いがするけど、狭義には写真集における編集は「写真のまとめ方・並べ方」ということになる。実は写真てゆーのは並べ方ひとつ変えただけでも、作者の伝えたいメッセージの意味合いが変わってしまうものなんだわ。そんだけ作家にとってはシビアで難しい作業といえる。そんじゃ、具体的にその類型を見ていこ。

 

写真の読み方が深まる!Art Of 写真編集

①    Catalogue
まず1つ目が「カタログ」といわれる編集。これはいわゆるベストショット集のことだ。代表的なのが、ウィリアム・ヘンリー・フォックス・タルボットによる世界最古の写真集といわれる『自然の鉛筆』。余談だが『自然の鉛筆』は、タルボット自身が発明したネガポジ印画法であるカロタイプの成果を示した広報誌的な役割として出版されたそうだ。本の最初から最後まで抑揚をつけず、写真1枚1枚それぞれにメッセージが込められたもの。つまり作品すべてがクライマックス、みたいな見せ方だな。無造作な編集方法のようにも思えるけど、ヘタすると総花的で本としての纏まりに欠けるため一貫性が保ちにくくテーマが主張しづらい。しかしインパクトのある写真群で構成できれば、もっともシンプルに鑑賞する楽しみが得られる手法なんだわ。ドキュメンタリー写真の編集に多用される。

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自然の鉛筆

自然の鉛筆

  • 作者: ウィリアム・ヘンリー・フォックス・トルボット,マイケルグレイ,青山勝,畠山直哉,ヘンリー・F トルボット,金井直,ジュゼッペペノーネ
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②    Chronology
読んで字の如く、時系列に写真をまとめたものが「クロノロジー」と呼ばれる編集。なんといっても天才アラーキーこと荒木経惟による日本写真を代表する名作『センチメンタルな旅』がクロノロジーの代表格だろう。愛妻・陽子さんとの新婚旅行の道行きを108枚の写真で構成した写真集でオリジナルは1971年に発行されている。その後、癌で亡くなった陽子さんとの最後の時間を含めて再編集された『センチメンタルな旅・冬の旅』も新潮社から出版されている。『センチメンタルな旅』ではアラーキーが生涯追い続けることになるテーマ、「エロス(生)とタナトス(死)」という死生観が如実に結実した内容になっていて興味深い。というのも作品が時系列で編集されているからこそ、このテーマがリアルに浮かび上がってるんだ。いわゆるロードトリップものの編集によく使われている。

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センチメンタルな旅

センチメンタルな旅

 


③    Portforio
同一の対象(被写体)を違った視点から捉えた作品群で集成したものを「ポートフォリオ」という。代表的で直感的にわかりやすいのは浮世絵で絶大な影響を及ぼした葛飾北斎の「富嶽三十六景」だろう。富嶽というのは富士山のことで、旧跡・名勝から眺めた富士山のそれぞれの姿を36枚(実際は46枚存在するが)をまとめた総称が富嶽三十六景という。写真集だと巨匠・東松照明の意欲作『さくら・桜・サクラ120』がこれに該当する。かつての国粋主義の象徴でもありながら日本人が愛してやまない桜。「なぜに桜なのか」を自問し続け日本全国の桜を10年かけて撮影したというこの本。写真家が幼少期に肌身に感じた“甘い死の香り”を漂わせつつ、時に可憐に、時にドラマティックに咲き誇る桜の様々な表情を見事に捉えた隠れた名作だ。ニュートポグラフィックスといわれる風景写真の一派によく見られる編集。

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さくら桜サクラ120

さくら桜サクラ120

 

 
④    Typology
同一類型の被写体を地理的条件がまったく異なる環境下でも視点を固定化することで均質化し、比較対象として複数枚の写真を見比べるように編集されたものを「タイポロジー」という。まだ芸術分野における写真表現の可能性が模索されていた1960年代、写真を使ってこんな表現ができるとしてタイポロジーを鮮やかに世界に提示したのが、ベルントとヒラによるベッヒャー夫妻だ。2人は1959年から、給水塔、冷却塔、溶鉱炉、車庫、鉱山の発掘塔などドイツ近代産業の名残が残る人工構造物を、撮影者の主観を排して冷徹なリアリストの視点で撮り続けた。2人はこれらの構造物を失われゆく文明の象徴として捉えていたのだろう。エフェクト効果をも一切考慮しない、無機質な写真群を形態学的、書誌学的(Bibliography)に編集することで一連の集成が「図鑑」として機能する。この革新的な表現方法はおもにコンセプチュアルアートの分野で多くのフォロワーを生み出し、トーマス・シュトルート、トーマス・ルフ、アンドレアス・グルスキー、ルイス・ボルツなどベッヒャー・シューレと呼ばれる第一線の写真家たちを輩出した。タイポロジーで表現された写真は写真家の剥き出しの視点というのが顕著に読み取れて、いちばん見応えがある。

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Becher Bernd & Hilla - Typologien

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⑤    Narrative
直訳すると叙述、つまり物語構成になっているのが「ナラティブ」という編集形態だ。「①カタログ」とは対照的に写真の配置により起伏をつけることで、一連の流れをドラマティックに演出しクライマックスまで持っていくことが可能になる。まず鑑賞者を惹きつける象徴的な1枚から物語を構成し世界観の断片を提示する。伏線を忍ばせつつクライマックスへと通ずる構造を造り上げ、そのまま一気に核心に迫るインパクトで最高潮へ。余韻を漂わせつつ静かなフィナーレ。というのが、ナラティブの基本構造。ここでの例示はアレック・ソスの処女作『スリーピング・バイ・ザ・ミシシッピ』を挙げたい。ロバート・フランクやスティーブン・ショアに連なるアメリカン・ロードトリップの金字塔として、その名を一躍スターダムに押し上げた幻の写真集で、このほど再販も決まった。ポスト・ロスジェネ世代とでも言うべきか、いわゆる“飽食の時代”を経た後のアメリカの姿を社会の外縁部から新たな視点で捉えたドキュメンタリー作品になっていて、病、繁殖、人種、犯罪、学問、芸術、音楽、死、宗教、贖罪、政治、低俗な性行為といった広範なテーマを扱ってる。なんともいえない叙情的な編集によって劇的な流れを生み出すことに成功した好例。個人的体験をもとに構成された写真作品を文学の私小説にちなんで「私写真」とも表現するんだが、この分野でナラティブな編集が多く使われる。哀しいかな、人というのはつくづくストーリーに魅せられる生き物なのだ。

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SLEEPING BY THE MISSISSIPPI by Alec Soth [PRE-ORDER]twelve-books.com

 

以上が写真編集の5類型。たいていの場合は5類型いずれかの変形だったり、もしくは組み合わせて写真集を編んでいるケースが殆ど。実は写真編集は写真家といわれる人でもちゃんと理解できてる人のほうが少ない。作品をつくるクリエイティビティとはまた別の、論理的思考が必要なんだわ。だから、多くは感性勝負での試行錯誤の結果か、プロの編集者に任せて本を完成させてるってわけ。

 

写真集ってのはもともと、美術コレクターが写真家のオリジナル・プリントやビンテージ・プリントといわれる1点もののプリント作品を選定するための「作品集」という役割も担ってたんだが、写真家のプレゼンテーション手段として凝りに凝った写真集が出てくるようになり、写真集そのものにもいわゆるプレミアがつくケースも出てきてて。海外のオークションなんかを見てるとビンテージ写真集1冊に数百万円の値がつくことも珍しくなくなってきた。

 

今回紹介した類型を考慮に入れて市販の写真集なんかを眺めてみると面白さ倍増は請け合いだろ。「これはタイポロジーだ」とか、「いや、これはカタログだよ」なんてことを言いつつ、その写真家が伝えたいテーマ、主題を考えてみることが“写真を見る目”を養うはず。ぜひ写真集の魅力を体感してみてくれ。

 

このシリーズ、まだまだ続く。Adiós, amigo

 

 

アート写真集ベストセレクション101 (2001-2014 保存版)

アート写真集ベストセレクション101 (2001-2014 保存版)