レンズの詩学

アート批評、戦略論、雑感など

俺のJiu-Jitsu事始め

なにやら物騒な話で恐縮なんだけど。ライフワークのクラヴマガと並行して、8月からブラジリアン柔術を習い出した。おかげで今や週6日をトレーニングと稽古に注ぎ込む日々だ。齢四十を前になんでまたそんな護身術ばかりのハードワークを、なんてこと言われちゃいそうだが。これには歴とした論理の変遷があってさ。

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©CAGDAS ERDOGAN『CONTROL』より

 

まずクラヴマガを始めて気づいたことがあって。想定外の、突如ふりかかる脅威に対して人間の条件反射の動きを取り入れた高度な護身術。という触れ込みどおり、クラヴマガは実に合理的で無駄のない技術体系になっていて。ひとつひとつの技の精度がすばらしく高い。技1個の応用性、汎用性がきわめて高いのだ。ところが。高度な技と技を結びつける、いわゆる「連絡技」というものがほとんど存在しない。翻って言ってしまえば技と技の組み合わせは自己の裁量で、自由度が限りなく高いということ。

 

なぜ連絡技が存在しないのかってことなんだけど、これは護身術としての成り立ちを考えれば至極あたりまえのことで。クラヴマガはとくに想定外の事態に対処できるということを前提に磨き上げられた技術なだけに、基本的にすべてが敵の挙動に対するカウンターを基本原理としている。当然、敵の挙動は予測できない。それに対処する術として連絡技は持たず、一気に対象を撃滅するべくカウンターから急所攻撃でたたみかけてフィニッシュ、という塩梅なのだ。ということは、だ。基本となる動作と少しのお約束ごとをインプットしてしまえば、あとは本能のおもむくままに敵を排除せよ。というのがクラヴマガなわけ。くわえて基本がカウンター技なので、スパーリングや乱取りという概念が存在しない。試合として成立しないから。つまりは。ほとんど知性が介在する余地がないのだ。

 

社会人になってからというもの、夏場にたまのサーフィンくらいで運動という運動をしてこなかった状況から突如として護身術を習い出し、あらためて身体でしか感知しえない世界があることが最近つとに見えてきた。でもやっぱり「身体を使う」「習う」ということから遠ざかって久しいので、目で見て理解したつもりの技もなかなか身体の中に浸透してこず、身体が覚えるまでの時間が若かりし頃よりも格段に遅くなっており、そこに決定的な『時差』が存在しているように思えた。なればこそ徹底的に「身体で考える」ような、知性と身体性が大きく影響する格闘技に取り組んでみることで『時差』を縮小できるのではないか。また新しい世界を感知することができるのではないかと考えたんだ。

 

さらに、もうひとつ。最近よく知人から「そんなに鍛えてどうすんの?」ってこと言われたりするんだけど。前述したようにクラヴマガは、いかに本能の中に基本動作を取り込んでいくかという対症療法的な型稽古みたいなトレーニングがほとんどで。当然、「型」なので身体を「鍛えている」ワケじゃなくって「記憶する」というのが正解で。「型」であるからベースにはなりえない。否。「ベース」があればもっと強くなるってことに最近気づいた。クラヴマガってのは、かぎりなくオプショナル(Optinal)な技術なワケ。「記憶する」と同時に「鍛える」という発想が必要なんだわ。プラスαで身につければすごく有効な技術なんだけど、それ自体をベースにしてしまうと連絡技がないが故にコンビネーションとしては機能しにくく断片的な技の習得にしかならない。つまるところ、下手するとストリートファイトに毛が生えたみたいになってしまう。これは残念ながらクラヴマガ習ってる意識高い系の人の大半がおそらく勘違いしてそうなことではあるんだけどさ。

 

そんなわけで複合的に何か違うものを習得してベースにしようと思った俺なんかが選んだのがブラジリアン柔術だった。俺みたいな非力なホワイトカラーの人間が仮に筋肉隆々の肉体労働者に襲われたとして、打撃で対応できるとは思えない。なればこそ圧倒的な体格差があるのなら最終的には寝技でケリをつけるのが安全であろう。クラヴマガもイスラエル柔術なんてゆー別称が存在するくらいだしね。

 

で、一概に「ブラジリアン柔術」といっても実は流派がいろいろとあって。ざっくり分けると護身+総合格闘技寄りの道場と競技柔術寄りの道場に二分される。とくに生粋の日本人道場主がやっているところは前者であることがほとんどで。こちらの道場に行ってしまうとますます野性味あふれるバーリトゥード(何でもあり)・ファイターに仕上がっちまう。俺自身の目的意識はあくまで『身体性の知性化』だから、できれば力が拮抗している状態での頭脳戦が勝敗を分けるであろう競技柔術寄りの道場にしたかった。それもできるだけブラジリアン柔術の総本山たるグレイシー・ウマイタに近しい流派が望ましい。と思っていたところに、わが地元には世界最大の柔術道場ネットワークであるグレイシーバッハがあったので迷わずここに通うことにしたってワケ。

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新しい取り組みというのは常に新鮮で未知なる興奮に満ちているもので。例に漏れず、初の寝技への挑戦となるんだけど。今まで一切経験したことのない身体運用と美しすぎる術理に魅了され、クラヴマガ以上の知的刺激を味わってしまってる次第で。こんな凄い技術体系が日本の裏側に位置するブラジルに伝わっていたなんてホント驚きというしかない…。1ヶ月足らずながら早くも巨大で複雑に入り組んだ、奥深い技術体系に浪漫を感ぜずにはいられない。

 

何より現地ブラジルにおける柔術家はサーフィンやサーフカルチャーと深く結びついた独自のライフスタイルを形成していて、レイドバックした良い雰囲気を醸し出している。そんな本場の空気感をそのまま日本に持ち込んだような、グレイシーバッハのカルチャーが肌に合っているのだ。グレイシー柔術のトレーニングメソッドをベースにしたインストラクションプログラムも実に洗練されていて思わずウットリさせられるほど。

 

全共闘世代の親の影響もあり、地球のこちら側を蹂躙する強欲な資本主義とは異なる原理で政治的闘争を試みる、あちら側のラテンアメリカ社会に対し強烈な憧憬とシンパシーを感じさせられる俺だけに。もともと生来の南米好きも高じて、どっぷりとBJJ(ブラジリアン柔術)の世界にハマりそうだ。てか完全に格闘技オタクに成り下がってんな、俺…。果たしてこの先どこに辿り着くのだろうか。柔術修行は続く。

 

Adiós, amigo!

 

希望の格闘技

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