レンズの詩学

アート批評、戦略論、雑感など

私の履歴書、思考の変遷②

それが沈む体を抱えて海に潜る理由か

映画「Ghost In The Shell:攻殻機動隊」より

誰かが言った。人生の悲劇はふたつしかない。ひとつは金のない悲劇。そしてもうひとつは金のある悲劇。

NHKドラマ「ハゲタカ」より

 

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前回は1999〜2014年くらいまでの俺の辿った道筋を駆け足で振り返ったものだった。有り体に言ってしまえばそれは、現代社会に生きる万人が持つ悩みや逡巡なのかもしれない。ただ所謂、帰国子女で欧米型の思考様式のまま成人した俺の価値観の中心にあったのは「和を以て尊しとなす」日本型の「安定」や「従属」などではなく、自身の「利益の追求」にもとづくエゴへの飽くなき執念であって、それまで積み上げたものを考え方ひとつでいとも簡単に崩し方向転換してしまえる思い切りの良さが俺自身の強みであったかもしれない。

 

結局、約15年の歳月をかけて資本主義社会におけるロールモデルに近しい道筋を歩んできた自身のモチベーションの源泉は何だったのかを考えたとき、一番の動機となったのは自分で何かを表現したかったんだという考えに行きついた。その一つの尺度として、稼いでいる「金額」を拠り所にして歩んできた結果、一番大切なものとは何かを見失ってしまったって話だ。よく聞くような、そうでもないような。

 

もしかすると、商業的な成功者や偉人は100年も経てば世の中から忘れ去られる。でも芸術の分野だったら数世紀、ひょっとしたら永遠に作品とともに名前が残るんじゃないか。そんな考えにとらわれるようになった。早い話が単純な承認欲求に突き動かされてたんだと今にして思うんだけど。

 

そんなとき目の前にあったのが、たまの鬱憤晴らしに変な写真ばっか撮ってたカメラで。「写真」ってメディアはどう撮るかって技術よりも何を撮るかっていうセンスに依るところが大きいから、撮っているその人の視点の面白さこそが表現だよなってところに気が付いた。そういや、facebookなんかで写真家を名乗る人も最近増えたなってとこから注意深く他人の作品を見るようになって。もともとが気になったらひとつのことを徹底的に掘り下げて考える思索的な性分だから、モノの捉え方ひとつで哲学的な意味合いを多面的に映し出す「写真」というメディアが向いていたのかもしれない。これなら技術の集積に関わらず自分にもできるかもしれない、そう思って写真家として転身することを決意した。でも思い切って転身するからには妥協したくない自分の中の決め事があって。絶対に自分が興味のないものは撮りたくないし、撮らないって決めてた。だから、なんら関わりのないモデル撮影やブツ撮りはやらないって制約を自分に課した。

 

 そしたら俺は何が撮りたいのか。今までずっとビジネスの現場にいて、本音と建前が乖離した虚栄心に満ち溢れた人間ばっか見てきたから、正直、人間ていうものにウンザリしてて。でも、どっかでは嘘偽りのない真実に真正面から向き合ってる人間がいるんじゃないかって期待したりもしてて。そういう人間がどこにいるのか考えてたら、真っ先に思いついたのが「戦場」で。そういや戦場カメラマンの作品に心奪われること多いよなって。戦場に行きたい、強烈に思った。理想や大義に燃える人間の姿が撮りたい。でも今の中東のIS絡みの戦場はそういうのとはまた違う気がして。しかも俺にしか撮ることのできない戦場ってどこだろ?そして俺が辿り着いた理想的な被写体が「水商売」だった。男と女の駆け引き、心理戦、愛欲・肉欲が渦巻く戦場。嘘と偽りの裏側に、ひょっとすると見たことのない真実があるかもしれない。

 

これだ!と思った。表面的な描写ではなくインサイダーの視点から撮ることができれば、未だかつて誰も撮ったことのない作品になる。そう確信した俺は西日本最大の歓楽街、北新地に店を構える高級クラブチェーンに潜り込むことになる。昼間は生活のために請負仕事をして夕方から夜にかけ北新地に出勤、ちょっとした合間や閉店後に撮影する。

 

そんな生活を過ごしてる中で、ひとりの女性と出会った。初対面のときから以前に会ったことがあるような、なんとなく妙に懐かしい感覚があって。容姿が好みのタイプかといわれると違うんだけど、深入りしちゃいけないぞって本能が囁いている感じ。社交辞令で話をしてみると、やけに気が合うわけさ。ちょっとした好き嫌いの感覚も一緒で。しかも他府県で出会ったのに同郷の出身で、互いの実家はなんと歩いて15分くらいの距離だったりして。本当に偶然の出会いなんだけど、こんなことってある?って。俺自身は手痛い失恋をしたばかりで、あまりのダメージに人間不信にもなってて。人生も残り半分過ぎたよなって年齢だし、もう恋愛とかそういうのないなって思ってた。ところが彼女との間でドラマチックでふしぎな出来事ばかりが起きるようになって、思いは深まるばかり。

 

一緒にいる時間が日ごとに増え、彼女の存在自体が俺自身の一部みたいな、そんな感覚にも陥った。そこまでの精神的に強い結びつきを感じる人間に出会ったことがなかった。元来、結婚願望のまったくなかった俺も、次第に結婚というものを考えざるをえないようになった。「この娘は俺が守らないといけないんだ。」生きてきて、はじめて思った。

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 そうしていざ現実を見ると、とてもではないが写真という未成熟な市場の中で、しかも自分が撮りたくないものは撮らないというスタンスでは大事な人間を養うことすら覚束ない状態で。できることなら彼女には苦労をさせたくない。否、絶対に苦労させるわけにはいかない。思いが強ければ強い分だけ、その気持ちも比例して大きくなる。写真ではダメだ。でも、いまさら元のビジネスに戻ったところで急ぎ足で人生を歩んできた結果、やり尽くした感しか残ってない。これまでの既定路線の仕事だと継続できる自信もない。また組織の中で使い捨ての駒に成り下がる気もない。そもそもが、この分野で自分は世の中に貢献するんだっていうビジョンやミッションを持ち合わせてなかったことに遅まきながら気付かされた。ただ高給を、より高給をと走ってきただけだった。

 

事物の価値すべてが「金額」という尺度に集約されて金額でしか測れない世の中って、それはもう「拝金」という名の宗教で、幻想ではないか。金を稼いでるヤツらなんて本質的に大した人間じゃないと一度は自ら否定した資本主義社会。でも現代というサバイバルの中で生き残るのに最も必要なものこそが「金」で経済力なんだと、守るべきものができてはじめて理解できた。それこそ乱世の時世なら武力と知力に長けた者が生き残り、守るべきものを守れる。それが今は経済力こそが武器なんだ。それを最初から理解して稼いでるヤツは強いんだなって、つくづく思い知らされた。長い逡巡の時を経る。

 

そうして現実と向き合う日々の中で、旧知の友人との再会によって突如、天啓のように舞い降りたひとつのキーワードが「金融」だった。金がない人生より、金がある人生の方が絶対にいい。その価値が理解できたときはじめて本当の意味で金を生み出すことができるし、人間性もよりでかくなる。お金、その本当の必要性、そして生きる意味をなんとなく理解できる今だからこそ、「金」というものを徹底的に掘り下げて考え、それを必要としてる人たちに供給できる手段があるのではないか。

 

思い返せば大学で経済学をかじってはいて、自身のトレーディング経験で基礎的な金融技術は身に付いている。国際関係論に取り組んだことで世界情勢と経済の動きを立体的に把握もできる。経済を動かしているのは様々な思惑を孕んだ人間心理なのだけれど、ライフワークとしてフロイトと向き合い続けていることで中途半端に齧り散らかしたリベラルアーツがある方向へと有機的に収斂される。そうして見ると今まで取り組んできたものすべてが「金融」に通じていたことが意義深く思えてならなかった。

 

なにより俺自身が生え抜きの金融エリートなどではなく、門外漢であるマーケティング従事者としての職歴が最大の強みになっている。投資関連の金融業界は、知ってるか・知らないかの「情報の非対称性」によって参入障壁が非常に高い知識産業だ。そのすべてを理解しようとするとファイナンス理論、金融工学、税制の知識や枠組みなど広範な事象に通暁している必要があるので、きわめて敷居の高いビジネスで、言ってみれば外部の人間からすると「ガラパゴス」だといえる。

 

だからこそ、そういった情報をいかに的確にわかりやすく伝え、選別し、顧客の利益を最大化するかというマーケティングの視点が重要ではないかと考えている。また様々な法規制に縛られているビジネスだからこそ、まだ既成のものではない新しい発想で価値を創造できる余地があるし、この業界からスティーヴ・ジョブズやジェフ・ベゾスのような革新者を生み出すことも可能だろうと思う。そういった観点から今は独自の投資情報サービスを提供しており、将来的には投資顧問業や投資銀行業務にも着手したいと考えている。そのための具体的な道筋と戦略をここ半年ほどかけて練っていた。

 

もっとも俺自身がここ数年で顕著に学んだことは人との縁の大切さだったり感謝の気持ち、そして思いやりで。何をするにも誰かの助けって絶対に必要だし、より人生やビジネスを豊かなものにしようと思うと一番不可欠なのはやはり人なんだ。金に縛られてしまうと逆説的にここが見えなくなっちまう。わかりきったことだけど。だからこそ今後は何かしらのご縁で繋がっている人生の先輩方やクライアントの皆さん、これを見ているあんたにも俺自身の経験を通して言えることは言わせてもらうし、請われれば全力で最大限の支援をさせてもらう。綺麗事だと笑われるかもしんないけど←そんなん、どーでもいいしな。こんな節操のない人生を歩んでるわけだけど、何か感じていただけたことが一つでもあれば幸いだと思ってるよ。あんがとね!

 

「私は私が見える世界を皆に見せるための機械だ」ージガヴェルトフ(映画監督)

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ちなみに今回も写真はすべてヴォルフガング・ティルマンス。